ロケットの隠れ家でお茶会を

ドラマ・映画・演劇・漫画・ゲーム・小説等々、美味しいものを見つけては感想なども書き綴っています。

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其は奇人か山師か天才か

もう明後日には引越しだなんて信じられない。
再び京都です。ただし滞在期間は2日間です。
前の職場にも、所用で顔を出さねばいけないのですが……う~ん、気まずい;

それはさて置き、昨日の続き。

まずはこないだWOWOWで放送していた、『表裏源内蛙合戦』の感想からいきます。




<あらすじ>
時は享保十四年、貧しい足軽の家に生まれた四方吉は、四国随一の神童と呼ばれる美少年に成長し、松平藩の若君・頼恭の鬼役を命じられ、遊び・勉学の相手を務めるようになる。
成人した四方吉は平賀源内と改名し、本草学(中国古来の植物学・薬物学)を学ぶために官費で長崎に留学し、南蛮渡来の珍品や、隠れ切支丹狩り、密輸などが横行する長崎で、遊女・花扇と出会う。
オランダ語や医学を学んだ源内は、本草学を究めるために今度は江戸へ留学。
日本初の物産会をひらく資金繰りのために三井高光のもとを訪れ、鳥山検校のめかけ青茶婆(じつは花扇)と再会する。物産会を成功させた源内は若手第一の本草学者となるが、立身出世を狙い幕府に仕官するために高松藩辞任願いをする。それを面白くなく思った頼恭は源内の高松藩辞職の願いを受諾するとともに、他藩への仕官を禁じてしまう。
出世の道を断たれた源内は蟄居の身となりながら、人々の考えも及ばないような新たな開発・発明を続ける。
しかしそれは民衆の生活には届かず、源内は江戸中から“山師”と呼ばれるようになり・・・。
(公式のあらすじより)



『天保十二年のシェイクスピア』に続く、蜷川演出&井上ひさし戯曲のタッグによる作品。
とにかく話が長い! 長すぎる!
別に飽きはこないんだけど長い!
『天保十二年のシェイクスピア』もそうだったけど、上演4時間って何だよー!?

まぁ、ひとまずそんな叫びは置いといて。

話の内容自体は平賀源内の一代記そのまま~なのですが、最大の特徴としてタイトルにもあるように、この作品における<平賀源内>という人物は「表」と「裏」、二分されたキャラクターとして観客の目に映るようになっています。
出世を志し、学問に明け暮れ、自らの才覚を信じながらも好転せぬ現状に葛藤するという、人間臭い「表」の源内を演じる上川隆也さん。
その「表」の源内にしか見えず、時に本音や欲望を囁きかけ、狂言回し的な役割も担う「裏」の源内を演じる勝村政信さん。
この二人のバランスがとにかく素晴らしい。
互いに主導権を握ろうとでもするかのように立ち回るんだけど、それがまた平賀源内という人物の<天才>とも<奇人>とも<山師>とも(さらには<人間>とも)受け取れる多様な人物像を作るのに一役買っているんですよ。

例えば、田沼意次に仕官の話を持ちかける際、純粋に己の知識でもって出世を望む「表」源内に対し、「裏」源内は舶来物でも贈って(要は賄賂)みろと唆したり。
さらには源内が金を貸してもらっていた青茶婆を始末するため、金貸し座頭の検挙をちゃっかり進言したりと、いわば“悪知恵”でもって動く山師的な「平賀源内」という人物像を見せている。

けれども市井に生きる浪人学者として動くのはあくまでも「表」の源内であり、彼が狂気に陥ってしまえば「裏」は消えてしまうより他なく、「表」が獄死してしまえば「裏」もまた舞台に幕を引かざるをえない。
最後の「何も死ぬこたねぇだろ!」という叫びとか、彼の「裏」という立場をいっそう強調しているような気がするなぁ……

そんな二人が全く対等の立場でもって“共演”する場面というのがこれまたよりによって、腑分けの所だったりするんですよ。
二人そろって青茶婆の死体をざくざく切り開いては内蔵やら神経やらを引っぱり出し、初めて実際に見る人体構造の素晴らしさに目を輝かせる。
ここでのみ「表」と「裏」の感情がぴったりと重なっていた辺り、<それほどまでに知的好奇心に揺さぶられながら生きている人物像>というのが、この作品における「平賀源内」の本質であったのかもしれません。

所々に入る歌も、<言葉の魔術師>たる井上ひさしさんらしく、言葉遊びの妙技が効いていて面白い!
ミュージカルとして聞くにはイマイチだったけど;

あと、個人的に新吉原の場面とかもお気に入りです♪(やはり、な
あー好きだよ! オイラはきれーな太夫の姐ちゃんが大好きだよ!
例えズーズー弁を喋っていようともね!
この場面の源内さん、マジGJ!
廓の~恋は金もって来い~♪
(でも史実の源内さんって、確か男色だったんじゃ……(ゲフンゲフン)

それに両国の見世物屋だとか、最初から中盤辺りまで、出てくる度に人体図でオ○ニーしてる高松藩の色ボケ殿様だとか……
こうした江戸中期の猥雑さって、絶対現代にも通ずるものがあるだろうなぁ(笑
や、あえて具体例を出すのは自重しておきますが。

この作品にはインテリ批判も含まれていると聞いたんですが、上記のような当時の民衆風俗からすれば、平賀源内がやってたような国外の知識を広く啓蒙しようという活動や、将来役に立つよ!的な発明なんかは、それこそ一時の話のタネみたいな扱いに近かったんじゃなかろうかと。
(あくまで、この舞台を見た上で思ったことに過ぎませんが)
源内が出世できなかった最大の不幸は、そうした民衆風俗に直結した学問ではなく、本邦初の誉れを求めた孤高の知識に生きたことだったのかなと思ったり。
そうした時代に生まれた、ってことよりもね……

でもあの当時ですでに、自給自足による国産品生産の増強を主張してたってのは凄いわなぁ。
今作だけで人間性まで好きになれるかはともかく、あらゆる点において尊敬に値する偉人であることは今も変らずです、ハイ。


[ 2009/01/14 22:39 ] 演劇 | TB(-) | CM(0)
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プロフィール

矢車青(やぐるま・しょう)

Author:矢車青(やぐるま・しょう)
趣味の物書き。生まれも育ちも四国の土佐。創作小説サークル『モノクロアニマル』にて、本作ってイベント参加してたりもします。



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